下野・会津・津軽地方に連綿と伝わる匠の技術がつくる 手仕事・伝統的工芸品、民芸品 専科 本文へジャンプ
手仕事の歳時記     [7月・文月]   季節の歳時記 
益子町城内坂の「日下田藍染工房」を訪ねて
          
・・・・手仕事専科では、”
和美との生活を提唱しています。・・・・
 梅雨の忙しい季節を迎えて、手仕事の歳時記も2回目となります。
栃木県指定無形文化財の正氏からは、同様に栃木県指定無形文化財工芸技術保持者であった父の博氏から日下田家に連綿と伝わる手仕事師としての’家風=意志’を感じる。おいそれと変わることのない生き様であり、仕事に対する信念である。
 日下田藍染工房には、都会から来られた若い男女の職人の方々が、幾人かおいでで、それぞれにご自身の行いたい染めや織りを担当している。正氏から’茶綿’に関していろいろと教えていただいたが、工房には、染めや織りや浜田庄司氏関連の益子焼・日本民藝運動等の書物が、沢山置いてあり、自由に閲覧することができる。
 若い職人の方々が、日々目に触れて研鑽されているのを見て、伝統的な工芸技術習得のすばらしい世界に思えた。
 ここに、日下田藍染工房からのスナップを掲載したい。
  ●日下田邸は、江戸時代寛政年間(1789〜1800)に創業の紺屋であり、茅葺屋根の母屋兼仕事場は、創業時に作られたものと言われる。
●栃木県指定建造物
●門柱を入るとどうだんツツジを左右に母屋兼仕事場へと踏み石が続く。
 
 ●母屋の庭には、何体もの道祖神が置かれている。いつ頃から置かれたのかは、お聴きはしなかったが苔むした姿から随分と古いものと思われる。  ●母屋の入り口の脇には、大きな甕に綿の実のついた綿の枝が置かれている。
 ●江戸時代に作られた母屋兼仕事場の大切な藍甕が整然と規則正しく埋め込まれている。72個あり、関東大震災の折にも、どれひとつとしてひび割れたものはないという。11月から4月までの冬には、大鋸屑を焚いて藍の発酵を助けるとのこと。  
 ●かますに入った乾燥した?(すくも)。藍は、タデ科の1年草で、東南アジアが原産である。飛鳥時代に中国から日本に渡来して各地に広まったといわれる。日下田藍染工房では、年間16俵ほどのカマスが使われる。   ●藍甕を通して、売店を望む。 
 ●店先の上がり口の売店には、色々の商品が置かれている。当サイトショップの商品は、こちらで求めることができる。   
 ●晴れた日の庭先の風景。手拭の呉汁を引いたものが、干されている。  

●幾度も藍に染めた規格のものが、干されている。
  
 ●呉汁を作る小島さん。呉汁は、大豆を砕いて蛋白質を取り出し、藍を染める箇所に引く。蛋白質は、藍が染まるのを助ける作用があることから、伝統的に使われる。
  ●この度の日下田藍染工房の商品写真撮りでお世話になった大河原さんは、学校卒業と同時に日下田工房に来られて、染を行っている。芸術的な感性を持った方で、これから、すばらしい作品を作られてゆくものと思う。  ●こちらの3枚の写真は、手拭の型つけの工程の一部である。破砕した大豆から蛋白質を濾して使い、それぞれの型で手拭の型付けに引く作業を行う。
  ●工房と展示室のところには、古くから伝わる「伊勢型紙」が、額に入れて展示されている。日下田正さんの話では、これらの型は、一枚一枚手で切り抜かれて作られるとのこと。非常に細かな作業であり、相当の熟練を要するものと思う。池袋の全国伝統的工芸品センターにも、同様の物が展示されている。   
   
  ●織では、藍で染めた糸が使用される。染める回数によっても藍の濃さが異なる。日下田藍染工房では、本藍を使用して幾度も染挙げるところから、他の製品とは根底からことなる。
 ●織機と織の為の記号







 ●この作品は、一般的に店頭に並んではいない。特別な展示会に出展する織物であり、それぞれの糸が、特別に紡ぎあげられている。日下田正さんの作品である。
●これらの物は、タペストリーで使用されるが、商品として、予約が、出来る。受注生産である。

 
 ●写真は、日下田正さんである。
●私は、下野手仕事会とのお付き合いから、お取引いただいているが、訪れるたびに、色々なお話を頂戴でき、浜田庄司先生や益子の民藝運動のことなど、興味深くうかがっている。工房にあるそれぞれの貴重な書物があり、じっくりと拝見したいと思っている。
 
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