1636年建造 フランスの戦列艦
ブルボン王朝ルイ13世の時代。イギリスの100門搭載戦列艦”黄金の悪魔”と恐れられた「ソブリん・オブ・シーズ」に対応して作られた。当時の造船先進国オランダから技師を招き、フランスの国威をかけて建造された砲72門の第1級戦列艦(ラ・クローンとはフランス語で王冠)
1869年建造 イギリスの貨物船
イギリスのダンバートンで建造、お茶の産地、中国、インド、セイロンなどからイギリスまで運ぶ目的で作られたティークリッパー。
中国とヨーロッパとの貿易を東インド会社が独占していた時代には、紅茶は18ヶ月ないし24ヶ月かけてロンドンまで運ばれてきた。この独占が1834年に終了し、中国のいくつかの港で自由貿易が出来るようになると、多くのヨーロッパの船主が中国貿易に参入してきた。とりわけ、イギリスの国民的な飲物である紅茶をいかに新鮮なまま届けるかには高い関心が集まった。最初に届けられたその年の一番茶は高値で取引され、船主や船長は莫大な利益と名誉を得ることができた。
1850年には、ついに年内に新茶が届けられた。12月3日アメリカの新鋭帆船オリエンタル号が、1500トンの新茶を積み込んでロンドンに入港し、船価の2/3にも及ぶ運賃を稼いだのである。このニュースはイギリスにとって大きな衝撃となり、このティーレースに参戦すべく、Taeping、Leander、Blackadder、Hallowe'en、Thermopylaeといった紅茶輸送のための快速船ティークリッパーが多数建造された。
18世紀後半建造 アメリカのヨットレース「アメリカスカップ」優勝船
アメリカスカップ(America's Cup)は、1851年より現在まで続く国際ヨットレース。また、その優勝杯の名。その成立は近代オリンピックより45年、サッカーのワールドカップより79年、全英オープンゴルフよりも9年早く、継続して使用されている世界最古のスポーツトロフィーとして広く一般に認知されている。
名称の由来は最初の優勝艇の『アメリカ号』の名を冠した『アメリカ号のカップ』であり、決して『アメリカ合衆国のカップ』という意味ではない。しかし、その後132年に亘ってアメリカ合衆国のヨットクラブがカップを防衛してきたため、事実上『アメリカ合衆国のカップ』と同じ定義で称される。
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