【日本の銀の歴史】  

銀はその白い輝きから宝飾品としても広く利用されてきました。
古代には金に対する銀の比価が非常に高く、細工のしやすさなどから貴族社会に重用されていました。古墳自体にも銀アクセサリーは使われています。奈良時代には香炉、透かし箱、飾り金具、州浜など家具や調度にも多用されました。
時代が進むと、貨幣としての使用や、銀器など、上流階級の装飾品として用いられるようになりました。
また、占星術や錬金術などの神秘主義哲学では月と関連付けられ、銀は男性を、金は女性を意味していましたが、あるときを境に位置が逆転し、銀は月や女性原理などを象徴するものとなり、一方、金は太陽や男性原理などを象徴するものとなりました。

中世頃は金、銅と並んで日本から海外への貴重な輸出資源であって、金山、銅山同様、天領といわれる時の権力者が直轄するという形を取っていました。
国内で有名な銀山は世界遺産となった石見銀山(島根県)、生野銀山(兵庫県)が上げられ、共に天領でした。
銀山をめぐる争いも少なからず起きています。特に石見銀山から産出される銀は豊臣秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも当てられたという逸話が残っています。
このように銀山から産出する銀は、歴代の権力者を着飾り、富をもたらし、権力の象徴となっていました。